先行者のトレースがあったので前大日までは行けが、ここでシールをはずして帰路に。ところがスキーが滑らない。雪が深すぎて傾斜が緩いとヘッドがもぐってどうにもならないのである。仕方なく登りのトレースを踏んでもどることにした。ゲレンデはブリザートと人の波。
昨年は10時前にゲレンデトップを出て大日ヶ岳へ。さらに叺谷を滑ってゲレンデサイドに12時前にはもどっていた。雪山は条件次第だね。
広野の浄水場から手倉尾根を上谷山へと登り、橋立尾根を滑って最後は浄水場へと伸びる枝尾根を下った。メンバーは私を含めて4人。手倉山を越えて行ったが、雪の重みでたわんだ木々や押さえきれない小枝が道を邪魔をする。 JP(ジャンクションピーク)の雪庇も小さく、その下はもう底雪崩で地肌が出る有様。
2時前上谷山の頂上へ立った。左手に琵琶湖、右手には敦賀湾が見えるという風景が私にはとても新鮮だった。
シールをはずして下りにかかったのだが、橋立尾根のJPまでは灌木に悩まされ、たまらずショートカットした北東面の斜面では急勾配に苦しめられる。それでも橋立尾根の中間部は滑るのに十分な雪面になっており、林道も通じていた。この区間も藪だったらきっとビバークになっていたにちがいない。
林道が標高800m辺りで消えると再びの藪。地図を読んで最短の枝尾根をコースとしたが、最後はスキーをあきらめシートラーゲンしてツボ足で下った。足はもぐる、板は木々にかかるで散々だった。ヘッデンを点して行く我々には、橋立の村の明かりが励ましに思えた。車道へ出たのは7時。車道脇の街灯が温かく迎えてくれた。
奥美濃の大日ヶ岳から白山、白川へのスキーでの縦走は、 3年越しの計画。3日間の好天を待って、3人で 出かけた。
1日目は、高鷲スノーパークから大日ヶ岳、天狗山を経て北側の小シウド谷へ滑り込み、丸山へと登り返す。保川のコルから芦倉山を行くよりシンプルで早いと考えたからで、稜線の波打つ雪の起伏と雪庇を見るとこれは正解だったと思う。 神鳩ノ宮避難小屋には午後5時過ぎに着き、まずまずの初日となった。
2日目は長丁場の登り。標高2399mの別山まで銚子ケ峰、一ノ峰から三ノ峰まで4つの山を越えて行かなければならない。それぞれに標高差が200mから300mあるので体力がいる。
この日は帯状高気圧の谷間だったのだろうか。曇天で日差しがなく、最後の別山の登りはひどくクラストしていて、クトーなしのシールだけでは登れない状態だった。春とは言え、3月の雪山は冬の名残をまだまだ残している。
別山の頂きには二人分の真新しいスキーの踏み跡がありました。大屏風を過ぎた次のピークで、この先行者のシュプールが南龍へ向かっていると確信できたので、これを追った。でも、この二人は一体何者だったのだろうか。60度はありそうなクラストした急斜面を何のためらいもなくトラバースしたりしながら、誤らず南龍へとコースをとっていた。(致命的な危険個所が多いのでこのコースは真似ないほうがいい。)
おかげで時間短縮にはなったのだが、それでも南龍の冬期小屋に入ったときは、もう日が落ちていた。本当に長い1日だった。 (小屋の入口は10cm位開いていて吹き込んだ雪で開かなかったが、窓の鍵がかかってなく、そこから入られた。冬用の2階入口は、積雪の位置が低く梯子もないので届かない)
3日目の最終日は、昨日の1.7倍21㎞程を行くことになる。距離は長くとも標高差500mを稼いだら後は下り主体、スキーの本領発揮である。 未明に南龍ヶ馬場を出発し、朝日を見ながらカリカリにクラストした雪面にシールをきかせて登った。室堂を過ぎ、大汝峰手間へのコルからいよ
いよ滑降が始まる。夏にも長く雪が残るここはヒルバオ雪渓と呼ばれているが、広大で急な斜面となっていた。クラストした部分と風紋のある柔らかな雪の個所が交互に現れるので、クラストした所でターンをし、柔らかな所では足をとられないように突っ切りながら滑る。重い荷を背負ってこれをやるのはけっこうしんどいものだが、それでも見る見るうちに高度を下げ、距離を稼いでいく。一度登り返したあと北弥陀ヶ原を滑り、鴬平をうまく横切って真名古頭手前のコルまでは実に愉快な行程だった。
真名古頭は西側を迂回する夏道をとったのだが、これが急な雪の斜面に埋没して判然とせず、それは当然にしても、日照でぐずぐずに緩んだ雪はずり落ちて、トラバースはとても難儀なものになった。ここは急でも頭を越えていくのが得策だったように思う。
緩やかなシンノ谷は重い春雪に足をとられながら滑る。途中から雪割れが始まり流れが見えるようになると悪い予感がしてきた。この高度でこれなら最後に滑る大白水谷や如何?そしてこの予感は現実のものとなった。
大白水谷源頭のモナカ混じりのややこしい斜面をこなしながら、標高1400m辺りまで下げると早くも雪割れが始まり、やがて左右の岸は流れで分断されてしまった。右岸の雪をつなぎながら1150m辺りにさしかかると地形図からも想像できるようなゴルジュになり行き詰る。左岸に渡り、10m程の雪壁を登って谷の屈曲を形作る枝尾根を越えると灌木が茂った雪の急斜面。そこを下りさらに対岸へ。ここらあたりがこの日の剣ヶ峰だったように思う。渡河をさらに数回繰り返しながら岸辺に残る雪を拾って進んだ。
ようやく砂防堰堤下の林道に出たときはもう薄暗くなっていた。ヘッデンを用意してから小谷の湾曲を過ぎるまでやや登りぎみの林道を歩く。雪がいつ切れるか不安だったがその先くるみ谷の出合いまで滑られたのは、50㎞に及ぶこの山旅の最後のプレゼントだったように思う。
40数年を経った今、この谷がどう見えるのだろうかということも確かめてみたかった。
三河槙原駅からの長い林道歩きの記憶がまず飛んでいた。そして「抱岩川は、行く度にコースが違う」という先輩の言葉どおりに入る谷を誤ってしう。でも心の何処かに残っていたこの谷のナメは健在で、ツメまで飽きることなく遡ることができた。
沢のスケールと美しさは、その後に登った数々の谷に及ばないものの、その楽しさは私の沢登りの原点にちがいない。ありがとう、私を育ててくれた奥三河の山々、会のみなさん!
敦賀で北海道行きのフェリーを待つまでの時間が空いたので、新田義貞と足利尊氏の古戦場、織田信長が浅井の裏切りによって窮地に陥った地として有名な金ヶ崎城跡に寄ってみた。今は桜の名所ともなっていて折しも「花換えまつり」の最中。満開のソメイヨシノにユーモラスなヒョットコ踊りなど見物して、一時間ほどの散歩を楽しみました。 その昔、多く血が流されたこの城跡ですが、知るや知らずの人の波。ざわめきと笑い声に満ちていた。
2日目
夜間の冷え込みで、雪面は凍てついていたが、日が当たるとたちまち緩んで、滑るのに快適なザラメになる。ゆるむのは9時頃、そう踏んで出発は遅らせた。弥陀ヶ原から室堂脇を抜けて、スキーで御前峰の頂上まで登る。目論み通り、雪は軟らかくなっていたので、来たコースを滑り下り、大汝峰に向けて長いトラバース。一ヶ所だけ雪が切れた場所があって、スキーを担がされる。
その後は快調にトラバースを続けて湯ノ谷へ。実に広大で気持ちのよい斜面だった。途中にあったオアシスのような草地での休憩も思わぬプレゼント。しばしの安息の後、湯ノ谷のツメにあたる急斜面を滑りた。谷底からは崩壊の激しい荒々しい様相に変わる。右岸からの落石を避けて左岸よりに滑り、釈迦岳へと登り返した。途中ふり返れば、滑り下りてきた谷の全貌が見えた。
釈迦岳からは丸岡谷を滑る。ここも快適だったが、途中に現れる滝はネックで、もう少し雪溶けが進むと、左岸の雪壁も崩れて降りれなくなってしまうだろう。
この滝の下から登山道のある尾根へと逃げ、ブナ林を下った。迷いやすい尾根なので、GPSで何度も軌道修正しながら林道まで。最後の標高差メ100mほどは雪も切れ切れとなり、シートラーゲンする他なかった。
林道のトンネル前は、崩壊中で危険な場所。一人ずつ間隔をあけて越える。トンネルを抜けた先からの林道は道路脇の雪がつながっていてスキーが使えたのがラッキーだった。 (2020年現在、この林道は崩壊著しく通行止めになっている)
どちらから読んでも同じ山名。オサンババという別名もあるようだ。めいほうスキー場から一回りできる山スキー入門の好コースである。
パトロール詰所に届けを出し、リフトを乗り継いでゲレンデトップへ、そこでパトロールの人に声をかけられた。例によって苦言か小言かと身構えていると、「楽しんできてください」との一言。こんなふうに言われたことは初めてだったので、めいほうスキー場の好感度はマックスに。
小山を越えてからシールをつけ、頂上を探しながら登ると、オサンババ、山中山の2つの山頂標識に出会った。山頂で休憩のあと北東の尾根から谷底の林道へ滑りおりた。その林道をたどり、峠を越えて正午前にゲレンデヘ。
郡上高原スキー場脇の別荘地から登り、尾根を周回してきた。半日の山だろうと、たかをくくって行ったのだが、なかなかいい山だった。大日岳のように有名でなく人が行かなくても、それだからこそ楽しめる山ってあるものだね。
アップダウンもあり、テレマーク向きのコースと言えるが、シールは南側の尾根の最高点までつけたままで行った。そこからは、尾根を滑って郡上高原スキー場へ。ここはホテルのプライベートゲレンデのようで、宿泊客と団体以外はあまり来ていないように見えた。