南富良野の社満射岳。林道の除雪終点まで車で行って、そこから入山。後続バーティに抜かれて後を追う。素晴しい天気で急ぐ気にならない。
多くのトレースが残っていて地図を読むこともなく、これを追った。実に登りやすい尾根、天気は良く気分はぶらぶら歩き。 次第に開けてくる展望を楽しみながら、ピリカ台のなだらかな雪の原で休憩する。カヤックで回った積丹半島が一望できる。見上げる山、見下ろす海、その両方を体験できるのはなんという幸福だろう。 ピリカ台から見えていたのは稜線の一角で、頂上はその先にある。最後の急斜面に取りついている先行者が見えた。私たちもつづき頂上へ。
晴れた日の山頂は、立ち去りがたい思いがするが、帰りの滑降も楽しみ。先に出た人は、もうはるか下へ。後ろで歓声が上がったので振り返ると、人の姿はなく、美しいシュプールが一筋、谷間へと消えていた。北海道の山で出会う人は、みんな本当にスキーが上手い。 でも、下手は下手なりに楽しめるというもの。滑りやすいザラメ雪に女房殿はごきげんで「こうでなくっちゃ」などとのたまいながら滑って行く。
朝一番の大雪山旭岳ロープウェイにメンバー6人とともに乗る。姿見駅を下りてから右手の尾根を2時間少々の登高で旭岳頂上へ。山頂にはもう多くの人がたむろしていた。
山頂から少し尾根を行き、折り返すようにして旭岳北の大斜面を滑降。途中、コケモモの絨毯の上でワインを開け、令和元年、最初の滑降を祝う。姿見駅までは山腹の長いトラバースだが、スキーはよく走った。あとはゲレンデ。
朝一番の黒岳ロープウェイを待って出発。101人乗りのゴンドラは、私たち夫婦2人きりで貸し切りだった。リフト運休中の 黒岳スキー場を歩いて登る。リフト終点からは急登が頂上まで続く。右手の尾根筋から、左の斜面へと大きくジグを切ながら登りついた黒岳頂上は、昨日の暑寒別岳同様の烈風。カムイミンタラの周遊はあきらめて早々に退散することにした。
下りの急斜面は斜滑降にキックターン。雪は適度に柔らかく、私は滑りたかったのだが、女房が怖がるので、山ヤの原点に立ち返り安全優先で下りた。 滑落の心配のない場所から滑降に切り替え、スキー場へと滑り込んだ。
山頂駅で振り返ると、私たちのみっともないジグザグシュプールが広大な斜面に刻み込まれているではないか。
愛山渓温泉への19kmの道が9日に開通したので、大雪山行きを変更して、その北にある安足間岳という余り知られていない山に転進した。一カ所谷を渡る所でモタモタしてしまった。そのせいでもないが、今シーズン一番乗りのつもりが、後続のご夫婦に抜かれて二番乗り。
安足間岳直下のカールを思わせる谷間の斜面、本州でもなかなか見ることのできない広大な景観。登りの時にはクラストしていた雪面も下る頃にはすっかりゆるんでいて、沼平の広い雪原とともに、すばらしい滑降が楽しめた。
三段山はベースとなる白銀荘とともに有名で、一度は訪ねてみたいと思っていた。下半分は樹林帯、上半分は森林限界を抜け出た斜面。楽しめるかどうかは天候と雪質による。
前夜は銀山荘に泊り、十分に支度して出発。森林限界を出てからは吹きっさらしで強風と低温に痛められた。頂上間近で女房のシールがはがれるなどアクシデントもあったが、山やの性か頂への執着は強く、そこを踏む。下山はコースミスをしないよう刻みながら滑ったが、傾斜も分からないような視界で、2度ほど立ちごけをした。視界のきくようになった下半は、気持ちの良いパウダーラン。楽しめる。
南富良野の社満射岳。林道の除雪終点まで車で行って、そこから入山。後続バーティに抜かれて後を追う。素晴しい天気で急ぐ気にならない。
タケノコ山から社満射岳を往復して、タケノコ山に戻り、そこで初めてシールをとる。タケノコ山へはボーダーやスキーヤーが沢山入っているらしい。できるだけ荒らされてない斜面をとったつもりが一谷間違えた。ルートの修正をしながら気ままに下る。どこでも歩き滑られるのがテレマークの楽しさかも。
車に戻ると他に数台停めてあり、帰ってきたばかりの若者が数人いた。人気のある山のようだ。
新得町の西にそびえるオダッシュ山。除雪終点に車を置いて歩きだす。
根室本線、道東自動車道の下をくぐって、夏の登山口。夏道は取らず、樹林帯のゆるい登りから急な山腹にジグを切って進み、夏道のとおる尾根に出た。この山腹は開けていて帰路の楽しみに思えた。それに反して尾根は硬軟のシュカブラで滑りにくそう。前峰からオダッシュ山へと尾根を行き頂上に立つ。十勝平野や左幌岳の展望を楽しんでから、シールをつけたまま前峰まで戻る。下山にかかったが、予想通り尾根筋はけっこう苦労させられた。尾根を離れてからは快適な滑降。登りのトレースを追いながら、あっという間に車へと戻った。
日高と十勝を分ける日勝峠をはさんで北に熊見山、南に日勝ピークがある。峠自体の標高がすでに1106mだから、登る労力は少なく、高高度の分だけ雪質はよい。こんな理由からかバックカントリーの人気エリアになっているようだ。
私たちは日勝ピークの南にある沙流岳を訪ねる予定だったが、悪天にはばまれ、日勝ピークで引き返した。ひと滑りしてから車を走らせ、熊見山も登ってみた。いずれも2時間もあれば山頂を踏めるが、こんなたおやかな山で意味もなく急ぐのは野暮というものだ。気温が低いので日中になっても雪は軽く、北海道のパウダーを存分に楽しませてもらった。次は労山熊見山のあの開けたバーンを滑りたいものだ。
冬の山では霧氷やエビのシッポなど珍しくないけど、このサラサラの雪にはめったに会えるものではない。それにダイヤモンドダストも。でも、これも北海道の人にとっては当たり前、日常にあるものなんだろうと思った。
北大山岳部の歌に「暑寒の尾根に芦別に 北の山のザラメの尾根を飛ばそうよ」というフレーズがあり、暑寒別岳の名はずいぶん前から知っていた。この山に登りに行った。
新日本海フェリーで午後9時に小樽に着き、そこから登山口の暑寒荘まで150kmを車で走り、そこで車中泊した。翌朝、駐車場から出発し、長い長い尾根を登る。曇りから晴れに変わっていく天気が励ましてくれ、休み休みながら距離をかせいだ。ここは視界がきけばいいけど、ガスのときの下りは危ない尾根になることだろう。この日の難は風だった。頂上手前の大斜面辺りから、身体が浮くほどの強風に煽られ、少し怖い目をする。先行パーティは登頂をあきらめたのか、早々に引き返してくる。私たちはスキーアイゼンで踏ん張り頂上へ。
しかし、強風の中では居づらく早々に引き上げ、クラストした急斜面はスキーアイゼンをつけたまま下った。 雪面がややゆるんだ場所で、シールとアイゼンをとって滑降に移る。滑るにつれて調子にのり思い切り「ザラメの尾根を飛ば」したのである。
行きとはコースをかえて下った谷間では、陽光とせせらぎが出迎えてくれた。「雪消の沢の歌たのし」北大山岳部の歌の後半を思わず口ずさんでいた。
朝一番のフェリーで利尻島へ。鴛泊コースの遅い出発となったので、頂上までは無理だろうと思いながら登る。甘露泉の上あたりでスキーをはき、夏道がある尾根の西側の谷をつめていった。 長官山まで4時間半ほどかかり、ここで山頂をあきらめる。滑降は、その先の枝尾根から沢源頭の急斜面を選んだ。雪は日照で緩み、滑落しても大丈夫な状態。思い思いに滑って、晴天微風の1日を過ごす。
翌日はTさんとⅯさんが山頂を目指して早立ちし、残りのへたれ組は山麓彷徨と決め込んだ。もう1本西の沢へ入ろうとしたものの笹薮帯に遮られて断念。今年はいつもの年の半分の積雪量とか。引き返し、雪のつながる尾根を台地あたりまで登ってみた。帰りは昨日同様の楽しい滑降。 夕方には、T・Mも帰ってきて北野営場でのテントの中で、打ち上げとなった。
4月28日~5月6日:北海道往復は新日本海フェリーで海の旅。飛行機より時間がかかるが、ゆったりとした時間がすごせる。
知床半島縦断は羅臼から足のそろった5名で出発した。ピークにはこだわらず、つながった雪を追うのがコースとなる。前半はテレマークスキーを駆使して快調だった。
2日目の泊地となったルサ川からの後半は雪が消え長い板を背にしての這松こぎとなり、枝を踏みながら空中戦。文字通りの無用の長物となったスキーは樺の木に引っかかる。時速200㍍のペース。知床岳へはいったん谷に下り、そこから雪のつながる尾根を登った。
ポロモイを過ぎ、ウィヌプリあたりからはやっと踏み跡らしいものが現れたが雨。ガスの向こうにヒグマがじっと我々を見ていた。最後に鹿よけフェンスを越えて知床岬の灯台へとたどりついた。岬の草原を抜けて文吉湾へ。
5日間で食糧はみんな食い尽くしひもじかった。おりしも北海道は記録的豪雨の大荒れ、その間隙をぬって野田船長のボートが迎えにきてくれ羅臼へ戻ることができた。2006年のシーカヤックによる知床半島一周に加え、今回もすばらしい旅ができた。ヒグマに会えたし、知床の大自然に惚れこんだ素敵な人たちにも出会えた。
帰宅後、ずっと履いていた像足をクリーニングに出したら、2重のビニール袋に入れられて「これは洗えません」と言って返されてきた。きっとみんな獣の臭いがしていたことだろう。