ダイヤモンドトレイル(二上山~葛城山~金剛山~岩湧山~槇尾山)

2015.11.29~30
2015.11.29~30

 二上山から槙尾山までの45キロメートルほどの縦走路はダイアモンドトレイルと言われている。このキラキラした名前に魅かれて歩いたが、実態は階段トレイルと言ってもいいくらいよく整備されていて道標も完備、迷うところも少ない。

  1日目は二上山から金剛山までで、最後はサネ尾の急登をこなしてショートカットし、薄暗くなりかけた葛木神社に着いた。1日20数キロメートルの山道を歩くのはなかなか時間がかかるもので、持久力もいる。二上山や葛城山、金剛山辺りは毎日登山のような出立ちの人が多く、2日分の装備、食糧を入れたザックをかついで歩く我々は、何か場違いなところへ来たような気分になった。むしろ、そういう有名な山々の間にある名もない杣道、雑木林の里山のほうが落ち着いていられる。

 2日目は金剛山から槇尾山まで。このほうが前日より少し距離が長いとのことなので薄暗いうちから歩き出した。標高は低いものの細かなアップダウンが果てしなく続き、それも階段が多い(溝にならないようするためにもやむを得ない)のがこたえる。その間の平坦な道は実に気持ちよく歩けるのが嬉しかった。それに岩湧山の萱原の頂とスカッとした展望が今までのしんどさを帳消しにしてくれた。滝畑の村から最後、槙尾山を越える頃にはすっかり日も暮れてヘッドライトを灯して歩く。

 下山口には堺のNさんが車で迎えに来てくれていて、彼がいなければ滝畑からバスで帰っていたと思う。前日に登山口まで送ってくださったⅯさんともどもに感謝である。


葛城山頂上間近
葛城山頂上間近
金剛山
金剛山
岩湧山をあとに
岩湧山をあとに


大文字山

2016.1.5
2016.1.5

 京都の友人宅で新年会。

 宴会前に大文字山を散歩してきた。 夏の送り火を吉田山から見たことがあるが、現場はこうなっているのかと初めて知った。 薄曇りの京の街が足下に眺められていい気分。

 その後のお酒が美味かったのは言うまでもなかろう。

大文字焼きの火処
大文字焼きの火処


倶留尊山

2016.4.8
2016.4.8

 曽爾高原は写真でよく見ていたので、初めてなのに馴染みのある気分だった。

 亀山を越えて、倶留尊山まで足を伸ばしてみた。山頂は私有地で、立山の雄山のように入山料がいると聞いていたが、この日はだれもいなかった。 帰りながら、見事に焼き払われた無木立の山腹を見ていると、ここに雪が降ったなら面白かろうにと思った。

 高原の開けた展望とすすきの原、そして「お亀の湯」が気に入った。

倶留尊山の尾根から曽爾高原を見おろす
倶留尊山の尾根から曽爾高原を見おろす


兜岳・鎧岳

2016.4.9
2016.4.9

 朝のうちに兜岳と鎧岳をひと登りしてみた。両山とも山腹に岩壁を擁して険しく見えたが、登山道はしっかりしていて急登はあるものの、登りやすかった。見かけで判断できないものだ。

 東山麓には東海自然歩道が通じていたので、バスを待たず登山口まで歩いて帰る。桜の花が満開だった。

鎧岳
鎧岳


堂倉谷(下降と遡行)

飛び込み
飛び込み
ウォータースライダー
ウォータースライダー
堂倉滝のアプザイレン
堂倉滝のアプザイレン

 堂倉谷は数年前に遡行したことがある。今回はMさんの案内でそこを下降し、また登るという計画。(2016.8.27~28 GPS不調でログなし)

 大台の駐車場から尾鷲辻を経て堂倉山を越え、地池山とのコルから枝沢を本谷へと下りた。そこからさらに下流に向かい右俣の出合いに不要な荷物をデポ。ここは堰堤上で地形図に水線が幅広く表されている所(標高点1058m)だが、今日は水量が少なく干上がって河原になっていた。 そこから堂倉滝まで流芯を下って行く。飛び込み、泳ぎ、アップザイレンありの夏ならでは楽しい沢歩き。今回は水に浸ることが多いのでウェットスーツを着たが、実に快適で水の冷たさや冷えは気にならなかった。

 堂倉滝はアップザイレンで下りた。ただ、ザイルを岩の間にかましてしまって引き抜けず、落ち口まで回収に行かなければならなかったのは失敗である。 帰路は堂倉小屋まで尾根道を登り返し、林道を歩いて右俣出合いまで戻ったのだが、要らぬ時間を食ったため、すっかり日が落ちてしまった。

 この後もう一つ失敗をつけ加えることになる。堂倉山の頂で採ってきたヒラタケと思しきものを焚火で焼いて食べたのが大当たり。それを食べた3人が夜中におう吐、その回数は食べた量に比例したようだ。完食のYさんは胃液の出るまで4~5回、私は3回の爆発的噴射、少量のMさんは1回、賢い女房は食べなかった。類似の月夜茸は根元に濃紺のシミがあるので識別できるのだが、それのない亜種もあるのだろうか、それとも焼きが足りず半生だったのが悪かったのか。いずれにしても一夜の悪夢だった。

  夜半から雨になった翌28日はゆっくりと起き、遅い出発になった。雨は次第に激しくなってきたが、ウェットスーツの私たちには何のストレスもない。最後の連瀑帯で先行パーティを抜いて、濁りの入る増水となった源流をつめ堂倉山北西の鞍部へと出た。雨は局地的なもののようだったが、沢の水の増え方は急速だったことを付記しておく。

タープを張って野宿
タープを張って野宿
今夜のごちそう こいつが災いをした
今夜のごちそう こいつが災いをした
雨の滝登り
雨の滝登り


台高山地横断(迷岳~白倉山~池小屋山~赤倉山~戸倉山~大鯛山~白鬚岳)

2016.12.4~6
2016.12.4~6

 前夜、Mさんの知人のOさん宅で、鶏鍋を囲み、その上に猪肉、アマゴと豪勢な宴会でしっかり飲んでエネルギーを蓄えて出発。

 

4日

 迷岳へは飯盛山の尾根を登った。のっけから急登でしぼられ、尾根に出てからも岩場混じりなかなかのコースだった。総勢7名で内2名は日帰り、迷岳の頂上からは5名と四国犬モンの1匹で縦走に入る。柚子ノ木平、大熊谷ノ頭と気持ちの良い尾根を歩いたが、大熊谷ノ頭で南へと折れる箇所は急斜面の山腹でうまく主脈に乗るのがむつかしく思えた。

 午後から雨との予報だったので、降りだすまで行く予定が午後2時過ぎにとうとう本降りとなり、白倉山への登りにさしかかるあたりでテントを張ることになった。Mさんのタープが夜半過ぎの土砂降りから守ってくれた

5日

 雨は夜明けまでには上がり濡れることなく出発。白倉山の頂で再び西へと進路を変え野江股ノ頭(国土地理院の地形図は「野」が抜けて「江股ノ頭」となっている)へと向かう。この頭を過ぎた次のピークで水越のコルへと下るのだが、ここも急斜面の迷いやすい箇所になる。水越から標高差150mほどを登るとアップダウンを繰り返す長い尾根、その行きつく先が池小屋山だった。

 ここでMさん、IさんKさんたちと別れ、私たち夫婦2人になって赤倉山(コクマタ山)を目指しました。Mさんたちは池小屋山から宮ノ谷へと下ったのですが、霧降山からも宮ノ谷へ下る道があった。そこを過ぎ、千里峰の登りにさしかかると今日合流予定だった雲水さんとSさんの2人に出会う。

 お互いに早い合流を喜びそこから行動を共にする。赤倉山手前のコルから北側の谷には水があるとMさんから聞いていたので下りてみた。10分も行かないうちにちょちょろと落ちる水場を見つけ、空になった水容器を満たすことができた。

 赤倉山の頂上から白鬚岳への尾根に移る箇所は標識もテープもなく、雲水さんが地形を読んで下っていったが、地図読みができないと迷いかねない場所にちがいない。そこから1221mの標高点があるピークまで行って幕営。尾根影の広い場所で夜半から吹き始めた強い風もあたらず、泊まるには好適な場所だった。

 

池小屋山頂上直下

雨まじりの強風

 

6日

 昨日同様、ヘッドランプをつけての出発である。気圧配置は冬型に転じたらしく、雨まじりの強風が吹きつけていた。まっすぐに立っていられないこともあったから風速20㍍はあっただろうか。たいしたアップダウンのない尾根、それに下草にわずらわされることもない道をどんどん進み、高塚(トベット)、戸倉山と越えていく。登尾では三角点を踏みたいという雲水さんの要望で少し寄り道をした。そこから南へ向かい高尾山を経て大鯛山へ。ここで雲水さんは車回収に北股川の林道へと下り、私たち夫婦とSさんとで白鬚岳へと登る。白鬚岳の山頂には今西錦司の1500山目登頂の記念石碑があった。刻まれた「一山一峯に倫せず」の言葉、このようにありたいと思った。

 白髪岳から先はよく踏まれた道となったが、なかなかの険しさでピラミダルなこの山の山容にふさわしく思えた。風の吹きやまない尾根をさけて長い谷間の道を下ると雲水さんが待っていてくれた。

 この山域に足を踏み入れるのは初めてだったが、Mさん、雲水さんのサポート、それに同道してくださったみなさんに感謝。いつか台高縦断をと考えるのだった。



小谷城跡

2017.1.31
2017.1.31

 奥伊吹から転進して小谷城跡を歩いてきた。麓にある資料館が火曜休館だったのは残念だったが、雪の城跡の風情はなかなか良いものだった。戦国の世でなければ、長政とお市の平穏で幸せな暮らしがここにあっただろうに、そう思わずにはいられない景色が眼下に広がっていた。

山崎丸への尾根を下る
山崎丸への尾根を下る

注 奥伊吹スキー場

 伊吹山の北方稜線のスキー縦走に出かけたのだが、奥伊吹スキー場から山に入ることができなかった。一言で言えば、スキー場を通って山に入ることはまかりならぬ、ということである。実りのない論争をしても仕方ないし、ケチがついて行ってみて面白くもないので中止した。以前には貝月山へと、ここから入ったこともあるのに、いつから変わったのだろう。ハチ北スキー場もこんな調子なので私はめったに行かないが、ここまでかたくなのは珍しい。でも、購入済みのリフト代と駐車代を返してくれたのはありがたかった。

 



金糞岳

2017.2.1
2017.2.1

 北尾根は303号線が冬期通行止めかも?と思ったのと渡渉があるらしい、のが面倒くさく、南側の高山キャンプ場から登ることにした。高山の村外れの配水施設前が広く除雪されていたのでそこで車中泊。

 翌早朝に出発、ダムの点検路を行く。途中何カ所か雪が切れていて、その度に板をはずすのがわずらわしかった。追分からの急登と堅雪にそなえ、スキーアイゼンをつけた。雪はさほど厚くなくて、夏道もそれとなく分かる状態だったのでけっこう楽に登れた。下の林道から上の林道と難しくも危険でもない雪道だったがさすがに長く、さらに小朝頭からはアップダウン、最後に頂上への急登が待っていた。

 金糞岳頂上へは13時20分に着き、さすがに夏のコースタイムとはいかない。でも、年寄りの我々としては、登り切っただけで上出来と言わなければならない。

 下山にかかる頃から吹雪模様になり、夕方から崩れるとの予報は早まったようだった。小朝頭への登り返しがあるので、シールをつけたまま滑りった。その頭を越えるあたりからシールに新雪が付着し団子になってきたのではずし、帰路をどうとるか考えた。結局、新雪がよく滑るだろうと判断して林道を下ることにしたが、これが正解だった。デブリや多少の漕ぎはあったものの小朝口から1時間半ほどで明るいうちに帰ることができた。

 ふもとにに着く頃には雪は大粒の雨に変わり、冷えた体で車に乗ると安堵の思いと充足感が同時にわいてくるのだった。

夜明け前に出る
夜明け前に出る
大朝頭近く
大朝頭近く
金糞岳頂上
金糞岳頂上


三上山

2017.5.4
2017.5.4

 名神高速道路の菩提寺パーキングエリア付近に来ると、北側に見える富士山のような円錐形のきれいな山が三上山である。山頂がくびれていて、俵藤太がムカデ退治の折に振り下ろした太刀でそこが割れたのだと、バスガイドが説明してくれたのを憶えている。

 朝早かったせいか裏登山道の登り口にある駐車場はまだ2~3台入るスペースがあって、そこに車が置けた。 裏登山道から妙見堂跡のある表登山道へ出て、さらに山腹を半周する道をたどり、最後に南側の急道を登って山頂に出た。 頂上はベンチがあるものの樹木にさえぎられて展望はよくない。一段下の奥宮の前にある磐座の前が開けていて、みんなそこでくつろいでいた。私たちはベンチでコーヒーを飲んで休憩したあと、くびれを形づくっている苔の谷という小ギャップを越えて裏登山道から駐車場へと戻った。

 三上山、ムカデ山、近江富士と3つの名をもつ山は、蜘蛛の巣のように山道が張りめぐらされていて三々五々人が訪れ、どこを歩いてもいい散歩道のようである。

 

 近江の帰り土産は鮒ずし。大津の坂本屋に寄らなくては。

頂上下に奥宮がある
頂上下に奥宮がある
奥津磐座
奥津磐座


皆子山

2018.1.16
2018.1.16

 この山は京都府の最高峰だそうだ。Sさんのお誘いで登りにいった。

 平の集会所脇のじゃまにならない路肩に車を停め、橋を渡って正教寺脇から東尾根に取りついた。最初は急だがスキーで十分登れる斜面だった。尾根状になると傾斜も緩み、小さなアップダウンもあったりしてやがて頂上へ。

 帰りは途中から寺谷へと下る急な枝尾根へとコースをとった。雪が薄くなり、とうとうスキーを脱がされたが、今夜の泊まり場の皆子山荘はすぐ下だった。見ると数人の人が小屋前にいた。Sさんの一行で、無事合流。

 この夜は、Sさんからこの小屋の建設当時の話など聞きながら、楽しく過ごさせてもらった。

皆子山の山小屋
皆子山の山小屋


蛇谷ヶ峰

2018.2.25
2018.2.25

 比良山、最北の山。

 朽木のスキー場から夏道を外して尾根に取りつき、杉林の急斜面を登った。林が雑木にかわると尾根の傾斜も落ち、夏道を合わせる辺りから、うんと歩きやすくなる。途中で長い休憩をったが、昼までには頂上に。琵琶湖を眼下にしながら昼食をとっていると三々五々人が登ってきた。

 その中に知り合いの人もいて、見送られながら滑り下りたのだが、雪が固く格好よくとはいかなかった。尾根から谷へと入ると、軽いモナカでさらに難儀。薮も大したことなかったので、雪さえよければもっと楽しめただろうに、残念。

 家族連れで賑わうゲレンデを一息に滑って憂さ晴らし。気の合う仲間とワイワイと。手軽で楽しめる山だった。

蛇谷ヶ峰頂上蛇谷ヶ峰頂上



西方ヶ岳から栄螺岳

2018.6.3
2018.6.3

 敦賀湾の西岸にかなりの存在感をもってそびえる2つの峰。これをつないで歩いた。標高はたかだか700mほどだが、海岸線から登るので、この標高差は正味ある。

 蠑螺ヶ岳の浦底登山口に自転車をデポしておいて、西方ヶ岳の登り口の常宮(じょぐ)までもどり、そこから登った。

 コースは、関電の巡視路にも重なっているせいか、最初は階段ばかり。奥ノ院展望台上の鉄塔を過ぎれば、それも終わり、緩急まじりの整備されたよい道がつづく。ブナの木立から通り抜けていく風と木漏れ日がさわやかだった。

 頂上手前に山小屋があり、広場になっている。その端からの踏み跡は展望台の岩場へ通じ、その眼下には水島と敦賀湾の眺めが広がっている。

 西方ヶ岳の頂上は三角点のほかは何もなく、樹木に遮られて展望もない。縦走途中で立ち寄ったカモシカ台では、美浜原発が目の下だった。

 蠑螺ヶ岳は山頂標識があったものの、展望はあまりよくはない。下山路はなかなか急だったので、途中にある長命水のところでお茶を飲み、ゆっくり過ごした。あと、一気に下りて自転車の所へ。海辺の道はけっこうアップダウンがあることをつけ加えておこう。

途中の岩場で
途中の岩場で
西方ヶ岳頂上下に山小屋がある
西方ヶ岳頂上下に山小屋がある


赤ゾレ山

2018.10.28
2018.10.28

 4年ぶりに再会するDさん夫妻のお誘いで、高見山の南にある赤ゾレ山へ行った。土曜日の夜出発、途中の某所でテント泊し、翌朝に登山口の木梶林道へ。  キワラ滝前の駐車場に車を置き、林道を歩く。 3㎞ほど行って、右手の沢から植林帯の急な山腹を登ってハッピの乢。尾根の右は杉の植林帯、左は広葉樹林帯のコントラスト、視線はおのずと左手の紅葉へと向く。伊勢山からは薊岳、その肩をへだてた先に白鬚岳がかすんで見える。一昨年の初冬に、迷岳から池小屋山を経ての台高山地横断の山旅を思い出す。

 赤ゾレ山で早い昼食をすませ、赤ゾレ池へ。 この池はハート形をしていると聞いていたが、かろうじてへしゃげたハートに見えるかなと思う程度。ハートに心ときめく歳でもなし、と後にする。馬駆け辻から先の尾根がすばらしかった。まばらな木立の紅葉、涼やかな風。「久々に、藪と蜘蛛の巣のない山道だね。」と女房が言う。

 Dさんが誘ってくれなければ、名も知らず、行くこともなかった山々。晩秋のよい一日。

ハート型の赤ゾレ池
ハート型の赤ゾレ池
秋の陽ざしの尾根を行く
秋の陽ざしの尾根を行く


寒風

2019.1.17
2019.1.17

 赤坂山から寒風へ周回の予定だったが、寝坊してしまい寒風往復になってしまう。

 マキノスキー場には雪がない。これで山に入るには気が滅入る。ブッシュは雪の上に出ている、道はスノーシューのあとがついて掘れ込んている。帰りはかつぎだな、と思いつつ登った。

 頂上から琵琶湖の展望はなかなかのもの。それに上半分は十分に滑ることができた。途中からシートラーゲンしてツボ足で下り、最後のゲレンデ跡を快調に滑りに下りた。思いのほか快適な山。

頂上が近い
頂上が近い


綿向山

2019.4.13
2019.4.13

 初めての山は、勝手がわからない。水木林道を車で上がって、竜王山の登り口手前に駐車。よく登られているらしく、道標も道もしっかりしている。天気のよい日の山歩きは実に気持ちがよい。

 鈴鹿山地の雨乞山の見える尾根まで人には会わなかったが、綿向山の頂上には30人くらいの人がいて大にぎわい。メインの登り口は他にあるらしい。昼食をとって、人通りの多いメインコースから下山した。途中に山小屋があり、そこからまた脇道へ。最後は林道を歩いて車にもどった。私が知らないだけで、いい山はいたるところにあるものだ。

尾根に出る
尾根に出る


矢筈山(日高川町)

2019.5.29
2019.5.29

 矢筈山という名は全国にある。山容に由来する名前で、二つの頂の間に凹みがあり、それを矢筈に見立てたのだろう。

 日高川町の矢筈山はアプローチの車道が狭い。アマゴ釣り場を目標に行き、その手前の広い路肩に駐車。

そこから左手の林道へ入り、鶯の川沿いに歩く。登山口の標識を頼りに林道から離れて橋をわたり、尾根に取りつく。あとは一本道でまぎれもないうちに矢筈山の頂上に着く。

 田尻城跡へと尾根道を進む。ここもよく踏まれていたが、最後に入った谷筋の道は、廃道模様で迷いやすい場所や危険な個所もあった。一般のハイカーはこのコースをとらないのが無難だろう。

 

矢筈山山頂
矢筈山山頂


高見山