知床半島

カシュニの滝
カシュニの滝
クンネポール
クンネポール
浜でキャンプ
浜でキャンプ

2006.813~15  20013.7.11~13
2006.813~15  20013.7.11~13

 知床はその自然の厳しさから人間の干渉をまぬがれてきた日本では数少ない地である。その荒々しい海と海岸に憧れて、2006年8月にウトロから相泊まで旅しオホーツク海側は険しく、海岸線にそそり立つクンネポールや五湖の断崖。海へと一気に落ち込むカムイワッカやに圧倒される。知床岬の番屋跡は柱だけが立ち残り、野に果てた獣の骨のように風にさらされていて、この地の営みの厳しさを偲ばせる。太平洋側では、泡立つ波に翻弄されながら向かい風にさからって漕いだ。それでも、お花畑を見にペキンの鼻へ登ったり、鮭を釣り上げチャンチャン焼きを作ったりする余裕は、力のあるメンバーのおかげである。

 2回目は2013年7月、逆コースをとったが、前回とはうって変わったベタ凪。「これは琵琶湖より静かだ。」などと言いながら、海岸線をなめるように漕ぎ巡り、前回は見られなかった入り江や奇岩を探った。カシュニの滝の滝の水をパドルですくえるほど岸辺に寄って進む内に、通り抜けのできる洞窟に出会えたのも、おだやかな知床の恵みのように思える。いずれも2泊3日の航程で、海岸にキャンプしながらの旅となる。夏、グマやキタキツネ、エゾシカはあちこちにいる。食糧は臭いの出ないように梱包して食事の場所と同様に寝る所と離すのは常識。何であれゴミなど決して残してはならない。これは人と獣が互いに安全でいられるためである。 

 知床の山の中に何があるのか知りたくて、カヤックとは別に雪の残る春にテレマークスキーを駆使して半島の主脈を岬まで行ったこともある。

 いずれにしても知床の手つかずの自然の魅力と迫力は、カヤックや徒歩という頼りない手段で旅してこそ、より強く感じられるのではなかろうか。この地に一歩踏み入ると、わが身が小さく思えて、自然を守るなどという尊大な気にはとうていなれない。自分の痕跡を最低限に留めながら密やかに旅するだけである。

 

 



積丹半島

2014.7.9 2018.8.3~4
2014.7.9 2018.8.3~4

2014年の夏、新日本海フェリーの船旅で小樽に着き、美国町の小泊で車中泊した。翌早朝、目の前の海水浴場から漕ぎだし、西に向かって積丹岬、神威岬を経て珊内までの予定だったが、最後に強い向かい風と風浪にはばまれて珊内直前の窓岩までとなった。そびえたつ岩壁に「女郎子岩」などの岩塔、岸辺を彩る緑と花々。ときおり差しこんでくる太陽の光に映える積丹ブルーの海の色はここだけのものだろう。

島武意のゴロ石の浜に上げる
島武意のゴロ石の浜に上げる

窓島をあとに
窓島をあとに

 2018年のメンバーは7人、私にすれば大人数

4年前には東から西に回ったが、今回は逆である。風や海流を味方にしたかったなら、このほうがよいと思う。珊内から美国まで、50数キロを2日で行くので楽な航程。回送の車など、すべて整えてから泊村の盃キャンプ場に泊まる。入口に温泉もある上、無料なのはうれしい。

 日目

 珊内まで移動して朝凪の内に漕ぎ進む。前回の終了地点のノットの舟揚げ場で休憩してから窓岩へ。柱状節理の岩島でその一部が抜け落ちて、窓のように貫通していた。陸からは見えず、前回も気づかなかったが、これで納得。

 シシャモナイの滝も、これまた海を行く者だけが見られる景観である。さらに進んで西の河原に上げた。「にし」の河原と思っていたが、どうやら「さい」の河原と呼ぶらしい。それにふさわしい雰囲気ではある。

 次の目的地、神威岬を目指す。風は予想通りの追風で舟はよく走るもののウサギが跳ぶほどになった。いったん岬の袂の港に上げて休憩。

シシャモナイ滝
シシャモナイ滝

 気合いを入れ直して、毛羽立つ海へ。

岬の突端は荒れるのだが、神威岩との間が通られたのは幸運だった。バシャバシャの波を漕ぎ抜け、風裏に入ると嘘のように穏やか。えぐれた断崖下のゴロ石の浜に上げて休む。

 神威岬の遊歩道までは踏み跡があったのだが、今は草におおわれて消えている。遊歩道に出ると、立入禁止の看板、どうやらいけないことをしてしまったみたいだ。

 岬の灯台は、たまたま開放されていて、中に入ることができた。螺旋階段と照明設備だけ、こんなシンプルな構造だが、光は36キロ先まで届くと、案内の海上保安庁の人が教えてくれた。新日本海フェリーで小樽へ近づくとき、この光を見たことを思い出す。

 この日は予定通り野塚の浜に上げ、野営場にキャンプした。多くのテントが張られていたが、ここも無料で、トイレ、炊事場もある。

日目

 夜中じゅう波の音がしていたが、未明に起きてみると磯波が立っている。女房と2人だけだっ

野塚の浜でキャンプ
野塚の浜でキャンプ

 

 たら、多分やめにしていただろうが、みんな行く気満々である。巻いて押し寄せる波の狭間をねらって漕ぎ出した。沖は穏やかである。磯波は風ではなくウネリのなせる業なのだ。

 しかし、これだけウネると着岸できる場所も限られる。そう思いながら積丹岬へ。岬沖では案の定、波にもまれた。こんなときは各自がそれぞれに身を守ることになる。言わば親不知、子不知の状態だが、仲間がいるのは心強い。

 このウネリの中でも島武意の浜に上げられたのはありがたかった。おまけに、北海道旅行中のNさん一家にも会えた。運のいい日というのはあるものなのだ。

 幌武意の港で少し休んだあとは、右手の断崖を眺めながら漕いだ。黄金岬と宝島が見えてはいるが、思いの外、時間がかかった。海水浴客でにぎやかな美国の浜に着いたのは正午過ぎ。

 後片付けに時間がかかったが、一切終えてMさんの「ふくろうの宿」へ。Nさん一家も合流してバーベキュー宴会で打ち上げた。

 



天塩川河口まで150㎞の旅

2020.821~23
2020.821~23
足寄の橋の下で
足寄の橋の下で

 天塩川は北海道の名河川である。名寄から河口までの150㎞をシーカヤックで下った。その間に堰堤は一つもない。もっと上流域からとも考えたが、堰堤も多く、舟も変えなければならないだろう。

 

 8月20日の夕方には翌日の宿泊予定地「びふか温泉」まで回送用の車をまわし、食糧等を買い込んで出発準備を整えた。

 

1日目

 早朝より漕ぎ出す。川の流れは速く、川幅いっぱいに流れていて滔々という形容がふさわしい。早瀬やテッシが諸所に現れるが、これが単調さを破ってくれて楽しい。テッシの岩が現れることもなく、かといって荒瀬になるほどでもなく、程よい水量だったのだろう。流れが手伝ってくれて正午を待たず、びふか温泉に着いてしまった。いったん上陸して車を回送し、さら20㎞下流の「天塩川温泉」まで下ることにした。午後も快調に下り、温泉に入ってから河畔でキャンプ。50㎞ほど漕いだことになる。

 

2日目

 未明に起き、車をゴールの天塩まで回しておいてから出発。尺取虫方式より最初からこうしておくほうが、よほど効率がよかったように思う。瀬はめっきり少なくなるが、流速はあまり変わらないようだ、瀞場のように見えても、休憩で河岸に上がるとその速さが目に見える。松浦武四郎が北海道と命名した記念の地で大休止。対岸を宗谷本線の1両列車が走る。この日は歌内橋上手左岸の気持ちの良い河原に上げてキャンプした。今日も50㎞漕いだ。

 

 

 

  

3日目

 早朝、出発。流れはしだいに緩くなり、天塩大橋あたりでほぼ止まる。前方に利尻の鋭鋒が見えるのを喜んだ間もなく、大橋手前3㎞あたりから強い向かい風が吹きだした。橋の右岸に着け休憩をとる。行くかやめるか少し迷ったが、残りわずか18㎞である。「行こうや」というⅯさんの一言で、逆風の中を漕ぎ出す、川幅が広く遮るものがないせいか、うねりまで起きている。「海と変わらんじゃん」と悪態をついても耐えて漕ぐしかない。オトンルイ発電所の風車が近づかず、遠ざからず、わずかな距離に悪戦苦闘した。山も海も川も、なかなかただでは帰してくれないものだ。右手に砂丘が現れる。天塩の流れが運んできた膨大な量の土砂が造った砂嘴に違いない。川底も浅く、パドルブレードが砂を噛む。この辺りまで接岸できる場所ははほとんどなかった。最後の天塩河口大橋を凱旋門のようにくぐると、河口公園のカヌーポートまで3㎞、風に耐えて漕ぎぬいた。 

 

北海道開発局の天塩川地図が参考になるhttps://www.hkd.mlit.go.jp/as/tisui/vkvvn800000018jy.html



朱鞠内湖Camp&Kayak

2020.8.24
2020.8.24

 天塩川の旅を終えて、私たち夫婦はゆっくりとキャンプをしようと朱鞠内湖に立ち寄った。朱鞠内湖は昭和18年に雨滝川を堰き止めて造られた。完成当時は日本一広い人造湖だったそうで、戦時下の過酷な労働で生まれた湖面は、自然と静謐に今は満たされている。

 湖をカヤックで1周するつもりだったが、目の先の藤原島と陸地を結ぶ線より先は立ち入り禁止だと管理人から知らされる。「そこまででも2㎞もあるし、南風が吹いたら戻れ

なくなる。過去にもカヌーがひっくり返って死んだ人もいる」とのこと。天塩川を150㎞、秒速10数mの逆風を漕いできた我々でも、聞くだに恐ろしい話だから、従うしかない。「チェックアウトは午後3時、昼過ぎには湖畔のいいサイトが空くよ」というアドバイスを胸に、テントサイトを回ってみる。みんな車横付けでテントを張っている。湖畔近くで昼食をしていると下のテントが撤収をはじめ「ここ、いいですよ」と声をかけてくれた。ありがたく、後を使わせてもらう。

 午後からカヤックを下ろし、許可範囲内を漕いで回った。盆栽島と陸地の間は地形図では湖水になっていたが、現状は陸つづきで通り抜けできない。隣の兎島もつながっていたから、年月を経て土砂が堆積したのだろう。風はなく、鏡のような水面に岸辺の木立が映る。その中に立つ舎利幹をさらす枯れ木が孤老を思い起こさせ、いつまでこんな旅がしていられるのだろうかと感傷を誘う。

 

 夕食を終え焚火の小枝に火をつけた。ほろ酔い眼に炎が揺れ、朱鞠内湖の夜は静かに更けていく。晴れやかな日の下の立ち枯れより、闇の中で燃え尽きる火のような死のほうがよいか、ふとそんなことを思った。 

キャンプ場の一等地
キャンプ場の一等地
立ち枯れの孤木
立ち枯れの孤木
焚き火
焚き火


洞爺湖

2018.8.6
2018.8.6
洞爺湖を漕ぐ
洞爺湖を漕ぐ

 春に山スキーに来て、ウィンザーホテルから洞爺湖の中島を眺めた時、カヤックで島に渡り、山に登ることを思いついた。調べてみると観光船も出ており遊歩道も整備され、最高峰がトーノシケヌプリ(西山)とのこと。

 洞爺キャンプ場に泊まり、翌6日早朝に漕ぎ出す。曇天無風の好条件のもと、左手に昭和新山、有珠山を見ながら快調にカヤックを走らせる。島に近づくと岸辺にはエゾシカが跳ねる。中島に着き、観光船の船着き場の手前の浜に上げたもののまだ誰もいない。始発便の到着を待

ち、入山名簿に記入して、ゲートを開けてもらう。早く出てきたものの、結局は8時半近くの入山になってしまった。

 遊歩道はよく整備されていて、木くずの道のクッションが心地よい。峠様のところから左にとり不明瞭な踏み跡をたどる。なかなかの急登で、ピンクのテープやロープがあるものの、廃道に近い状態であった。最後に道を見失って、わずか薮を漕いだ後にトーノシケヌプリの頂上へ出た。ブッシュにさえぎられて、頂上からの展望はあまりよくない。3等三角点がある。

 遊歩道までもどったのち、さらに北へ進んで大平原と名づけられた開けた場所に出た。小さな島の大平原とは、なかなか皮肉っぽい。ここで小憩してから、島の東岸を周回する道を歩く。湖岸の道は緑濃く、洞爺湖の水面の輝きを垣間見ながら行くのは心地よかった。

 帰路には西岸を回った。やりたいことをみんなやって、思い残すことなく島をあとにした。



利尻・礼文水道横断&礼文島1周

稚咲内から漕ぎ出す
稚咲内から漕ぎ出す

 12日に奈良・大阪・熊本の4人と合流し、今回の旅のメインである利尻・礼文の旅は利尻水道をシーカヤックで渡ることから始まった。水道の幅は約20㌔㍍、北東に流れる1~1.5ノットの潮流があるが怖いのは風と波。予報では波高1㍍、南西風4m/s 以下の好条件、行かない手はない。眼前に利尻山の鋭鋒が見えているのも心強く、稚咲内から早朝の凪の中を漕ぎだした。5時間弱かかって利尻島沼浦につけ、M氏とY氏との再会の後さらに沓形まで進んでキャンプ。利尻・礼文の旅は好調な滑り出しとなった。

 翌13日は雨の中の利尻山登山。キャンプ地の沓形から山頂を踏み、鴛泊へと下った。 

 14日はレンタサイクルで島1周のサイクリング。この日は晴れたが風が強く、15日も風待ちの停滞。沓形のキャンプ場は居心地がよいのがありがたかった。

 

 16日、朝起きるとまだ8m/sほどの西風が吹いていた。風は次第に収まる方向にあったので、ゆるゆると支度をして午前6時頃から漕ぎだす。磯波が立っていたので、最初それに向かって直角に進み、風浪が一定になるあたりから北西に進路を転じた。わずか10㌔㍍

礼文水道へ
礼文水道へ


ほど先の礼文の島影はかすんで見えなかったのだが、その輪郭がはっきりとしてくるとパドリングも力強くなる。2時間半で礼文島南端の知床の村はずれに着けたが、この日はビールを求めて宇遠内まで漕ぎ進んだ。

 

 17日、礼文島は船泊に上げて終わる予定だったが、今はそこからフェリーは出ていないとのこと。図らずも香深の港まで漕がなければならなくなってしまう。私の失敗で結果と

して礼文島1周になってしまった。礼文島の西海岸は、荒々しい岩壁で構成されていてこの風景を海から見られるのはカヤックの特権と言ってもいいだろう。あいにく霧が島の上部をおおっていたが、それも神秘的で悪くない。澄海やスコトンの岬から眺めた寒々とかすむ景色や首筋を洗っていく冷たい風、金田ノ岬のゴマアザラシの群れとの出会いは、北の海を漕いだ証のように思う。最後に東海岸を南下して香深の港にカヤックを上げると

 

 

北海道を旅行中のNさんご夫妻が迎えてくれ、私たちの利尻・礼文の旅は終わった。



屈斜路湖

和琴湖畔キャンプ場から漕ぎ出す
和琴湖畔キャンプ場から漕ぎ出す
砂湯の湖岸に上げてくつろぐ
砂湯の湖岸に上げてくつろぐ

 屈斜路湖は日本最大のカルデラ湖で周囲は57㎞もある。その湖岸にはいくつかの温泉が湧き出でており、それをシーカヤックで回ってみた。

和琴共同浴場、池の湯、砂湯と訪ね、最後にコタンの湯に入った。あまり手入れされてなかったり、閉鎖されたような雰囲気もあったが無料なのはうれしい。波も風もなく、湖の漕行は何の不安もない。

 本当は中島に上がって、山に登ってみたかったのだが、上陸が禁止されていてはそれはできない。

 



釧路川

2013.7.15
2013.7.15

 釧路川はその水源である屈斜路湖から下りたいと思う。そうするにはシーカヤックは無用の長物で、もっと小回りの利くリバーカヤックのほうがふさわしい。それでもカヤック通行禁止の箇所もあるそうだから、すっきりとはいかないようだ。

 そういうわけで、我々は塘路湖の元村キャンプ場から細岡のカヌーポートまで、ガイドツァーのコースを下ることにした。湿原の中を蛇行する釧路川のゆったりとした流れに舟をまかせ、鳥の鳴き声を聞きながら下るのはなんとも気持ちのよいものだった。最後は釧路本線に乗って帰りたかったが、効率を優先させて、回収用の車を手配しておいたのは、少し残念な気もする。

塘路湖を出て
塘路湖を出て
釧路川を行く
釧路川を行く