2月7日から9日まで信越にスキーに行った。
7日はシャルマン火打スキー場。非圧雪が売り物のスキー場だが、午後に到着では間に合わない。寡雪でエリアは狭く、その狭い部分はすっかり荒れていました。
その日からは、同行者の友人の古民家に泊めていただき、明け方には後発の5人も到着
8日はキューピットバレイスキー場から菱ヶ岳へ山スキーへ出かけたのだが、コースまちがいと女房のシールが不調で頂上には立てなかった。夜は宴会で、シシ鍋を囲んでビール、日本酒、ワイン、バーボンの酒類4種混合ですっかり出来上がってしまった。
9日、1人で菱ヶ岳に再度行ってみたが、昨日来の降雪が50㌢ほどあり、深雪ラッセルのため時間切れ。あえなく敗退、また来る理由ができたので、これもよし。
古民家、初対面の人、30年ぶりに再会する人、初めてのスキー場と山、シールのアクシデント、雪の峠越え、ベンツの運転、等々、いっぱいあって楽しい旅だった。
妙高杉ノ原高原スキー場
雪は本当に少なく、ゲレンデトップも灌木が出ていた。当初の三田原山への計画は捨て、今日はゲレンデで滑ることにした。
前山(赤倉スキー場から)
何せ雪が少ない。登りも薮、下りの滝沢尾根も薮で難儀だった。最後は尾根の末端まで行かず、夏道に逃げてゲレンデに戻った。気持ちよく滑られたのはゲレンデだけ。
滝沢尾根から赤倉スキー場へ出る夏道は、雪に覆われていたが何とか判別できる状態だった。ブッシュを嫌って私たちはこれをたどる。でも、もう少し積雪が増えると危険な場所になりそうである。地形図でも谷はV字型に切れ込み、右岸は30m程、左岸は70mに渡って雪壁、沢芯はラビーネンツークと言ってもいい地形。雪が多いときは決して入ってはならないだろう。
今シーズン初めてのテレマーク。最初はぎこちなかったが、終わりころには何とか勘が戻ってきて、やっとシーズンインという気分になった。
戸隠スキー場のゲレンデトップの瑪瑙山から飯縄山に登った。瑪瑙山からの下りは薮が出ていて、スキーをかついで歩いた。途中からスキーをはき、飯縄山への登りをこなす。
下山は道をまちがったり、笹の上を滑ったりしたので思いの外、時間がかかってしまった。雪が多くて滑ることができたら、いい尾根なのに残念。もう一度雪の多いときに訪ねたい。
雲の平に行くつもりだったが、パワーとスピード不足、それに一時的な荒天と少ない雪のため断念。代わりに、オートルートを行ったときに寄らなかった黒部五郎岳の頂きを踏んで来た。
3日間の晴天予報だったが、2日目、日本海に発生した低気圧のため、にわかに吹雪にみまわれた。
翌日は快晴。露出した夏道からカリカリにクラストした斜面をスキーアイゼンを効かせて登ったが、やはりここはアイゼンとピッケルの方がふさわしい。6月の積雪量に3月の雪の固さという印象のなか山頂へ。黒部五郎岳は360度の展望をもって迎えてくれた槍穂、から剱・立山、後立の山並を眺めると登った甲斐があるというものだ。
飛越新道はうんざりするほど長かったが、北ノ俣岳からの西斜面の滑降は、それを補って余りあるものだった。
北ノ俣岳へ突き上げる3つの沢を巡る旅。好天の3日間をねらって出発したのが思惑どおり、すばらしい山旅になる。(コースは上の地図参照)
21日
折立から薬師方面へ登る人たちに背を向けて反対方向へ。真川沿いの林道を少し行って橋から河原へと下り立つ。
ここから長い河原歩き。何度か渡渉を繰り返し、シンノ谷出合いへ。ここまでブドウ虫で岩魚を狙ったがアタリなし。もう岩魚の視線は水面の羽虫に向いているのかも、と思い毛ばりに替えた。これが当たって型の良い岩魚を2尾釣り上げた。早速さばいて塩をしておく。本当は人数分欲しかったのだが、時間が押してきていたので切り上げ、二俣上にいい平地を見つけて、そこを幕営地にした。 ツェルトを張り、焚火をおこし、沢水で冷やしたビールで乾杯。岩魚も強火の遠火で程よく焼けて1日目の夜は更けていった
22日
シンノ谷の源頭部をつめつ上がるこの谷は今も崩壊中でいたる所に倒木や落石、崩壊中のザレなどあり、荒れた若い谷という印象だった。それでも最後のなだらかな草原はやわらかな絨毯になって私たちを迎えてくれた。
北ノ俣岳を越えてから黒部側の薬師沢の左俣を下る。源流部分は平坦な長い流路になっていて、細流を集めて次第に増えてくる水に足を浸しながら行くのは私の想像通りの愉快。左手から大きな流れを迎えた先から連瀑帯となり、沢を下るのに慣れない二人は少々疲れ気味か、時間がかかるようになった。第三渡渉点の一般路へ出たときはもう夕方になっていた。
それでも薬師沢小屋には明るいうちに着き、黒部川の瀬音を聞きながらデッキで夕食をとることができた。
23日
今日は今回のメインの赤木沢遡行。ずいぶん前の秋に1度登ったことがあるが、記憶はほとんど残っていない。人気の沢だからできるだけ人に会わないようにと夜明けと同時に出発した。
黒部の大きな流れは普通の沢の概念ではとらえられない。何度も渡渉を繰り返し、へつり、高巻きながら赤木沢の出合いへ着く。この日の赤木沢は青空の下、私たちの貸し切りだった。こんな日は思う存分に沢の気分を味わい、風景を堪能できる。大滝ではロープを使った。十分に赤木沢の楽しさを満喫し、源流部で準備していたスパゲティを茹でて食べ早い昼食をとる。
最後は赤木平へと伸びるたおやかな尾根をたどって北ノ俣岳へ戻り、太郎平、折立への帰路へとついた。
山は季節、場所、天候、そして同行者によって印象が変わるもの。今回はその全てに恵まれて思い出深い山旅ができた。
佐渡島一周の海旅を終えたので、大佐渡の最高峰である金北山に登ってみた。
計画では石花川の遡行だったが、時間的にきつかったのでドンデンからの往復に変更した。沢の詰め辺りの濃いブッシュを見ると、この変更は正解だったと思う。 ここに踏み込んでいたら、帰りのフェリーにはとても間に合っていなかっただろう。
金北山への尾根もなかなか長く、往復で10数キロメートル、7時間ほどかかってしまう。おまけに夏の日差しに炙られながら、ペットボトル半分の乏しい水で歩いたので、すっかり干上がってしまった。夏の低山は私には苛酷でしたが、見晴らしのよい尾根と、アヤメ池の緑、そして昨日漕いだ両津湾を眼下に眺める気分は、ひとしおのものでした。
翌日、志賀高原に回り、お世話になっているO先生のスキーバスツァーに合流させてもらう。
ゲレンデでは滑らず、私たちは寺子屋ゲレンデから岩菅山へ向かう。晴れの予報だったが、小雪混じりの強風で天気はよくない。雪は予想以上に深く、行程ははかどらない。無積雪のときのコースタイムの倍近くかかりながら進んだが、岩菅山の頂上は時間的に無理となった。頂上がだめなら早めにあきらめるのが得策。夏道を下ることも考えたが、谷筋の様子が分からないので、来た道を引き返すのが無難というもの。
帰路も雪庇と波打つ雪に苦労しながら寺子屋峰からゲレンデトップへ戻った。敗退となったが無事に帰れば、それでよし。夜はホテル泊。1年ぶりに再会する人たちとの懇親が待っていた。
ゲレンデトップから天狗原や裏鵯へのトレースは踏み固められて何のストレスもない。
栂池ヒュッテから自然園の中にある小高い丘を目標にして歩くのは、危険な場所もなく、初心者がシール登高や山の滑降に慣れるのに適当なコースに思える。
ゲレンデで少し上手く滑れても、山に入るとからきしダメってことはよくあることだ。山でくずれて、ゲレンデでただしてという習熟のサイクルは、バックカントリーに入る者の通る道のなのかもしれない。
昨日、劔岳の山開きと鎮魂際が馬場島であった。雨は上がっていたが、山は雲におおわれて何も見えなかった。
一夜明けると快晴。劔岳の見える中山に登った。全行程3時間ほどの遊歩道で、人気のある山のようだ。人が多く行き交っていた。登り初めから1時間半ほど急登がつづく。アルペンルートの立山杉に劣らないような杉の古木が、コースに彩をそえてくれる。
中山頂上からは劔岳の西面が一望できた。赤谷尾根、小窓尾根、剣尾根、早月尾根、別山尾根。この領域には残念ながら一度も足を踏み入れたことがない。私にとっては、もはや手の届かなくなった憧れの地。二度と登ることのない山。 さようならと、小さくつぶやいて山頂を後にしました。
女房の友人と3人連れで、鳳凰三山を縦走した。青木鉱泉を基点に、ドンドコ沢から登って中道を下るというオーソドックスなルート。
初日は鳳凰小屋まで。ドンドコ沢は見応えのある滝があって、なかなか楽しい。小屋側にテントを張っておいてから空身で地蔵岳を往復。オベリスクを登ろうとハーネスと補助ロープだけ持ってきていたが、最後の数メートルのクラックは鎖も固定ロープもクリーニングされていて、この靴でノープロテクションでは登る気になれなかった。ちょっと心残りだったがあきらめる。
翌日は、観音岳へと直接登る。尾根に出ると昨日はガスで見えなかった北岳が、野呂川の谷をはさんだ真向かいに見えた。頂上からは360度の展望。日本第1から第20くらいまでの高峰が眺められる。北岳のバットレス、甲斐駒の赤石沢奥壁も。若い頃に血を燃やした懐かしい岩壁群。思い出でしか語れない齢になり果ててしまったが、山と岩は今も確かにそこにあった。
岩登りしか目になかったその頃、視野にも入れてなかった鳳凰三山。その中のほんの小さな岩場、オベリスクに追い返されてしまったことを、半ば不甲斐なく、反面愉快に思いながら、長い中道の尾根を下ったのだった。
高社山の山麓に3つのスキー場があり、木島平スキー場は場外禁足なので、よませ温泉スキー場から入った。
シルバーの日券2,100円は嬉しい値段。駐車料金はいらず、隣の高井富士スキー場とは相互乗り入れできる。ピステのかかってないバーンもけっこうある。朝一番の新雪を滑った後、パトロールに登山届を出す。うるさくもなく好印象。
ゲレンデトップでシールをつけ、尾根に入る。 一昨日来の降雪だろう、雪が深い。スネ下くらいもぐる。久々のラッセル、しんどいけど楽しい。岩塔辺りがキツかつたが、おおむねなだらかである。
石碑のある所が頂上かと思ったが、さらに一段上にあがると展望デッキがあった。ガスは晴れず展望なし、風当たりも強いので、早々に下山に入る。
滑りはイマイチでも、新雪がブレーキになってくれるので、どんどんと下れる。ゲレンデトップからは、高井富士スキー場の非圧雪エリアを飛ばした。 「遠見の湯」に入り、山を下ると、空は晴れ上がり高社山の端麗な姿があった。
好 よませ温泉スキー場
好印象だったので特記する。リフト料金も格安。G(爺)シルバー料金で午前半日で1600円(1日2,100円)。
きれいにグルーミングされたゾーンと非圧雪のゾーンがあり、人も少ない。隣接の高井富士スキー場とは相互乗り入れ可。2020年リフト券付き宿泊パックは4,700円
チツアーコースは、土日、水と回送バスがあるのでこれに乗って帰ることができる。この2つを組み合わせて周回しょうと考えた。
熊の湯のパトロールに届けを出し、第2ペアリフトでゲレンデトップへ。コース外に出て、笠ヶ岳を右手から迂回する。昨日の新雪はベタ雪に変わり、シールに団子になって張り付く。ラッセルと交代要員なしの三重苦で笠ヶ峠へ。
ここから素直に山田牧場へ車道を行けばよかったのに、さらに尾根を登って、3rdステージを滑った。直接タコチコースへ滑り込む斜面は灌木が茂っていたので、山田牧場の方に方向転換したものの満足のいく滑りにはならなかった。
タコチコースの林道は平坦であまり滑らず、ショートカットの場所も先行者のシュプールで荒れている。写真も撮らず急いだのに予定していた12時台のバスには間にあわず、14時12分のバスになった。
山田牧場では第1、第3とリフトを乗り継ぎ、車道を戻る。トレースがあつたので助かった。笠ヶ峠からは1時間足らずで熊の湯まで帰ったものの、すでにリフトは止まり、だれもいないゲレンデを滑り下りた。
タイトな行程だったし、いくつかのミスもあったが、女房にはもう少し上手くなってもらわなければ。
O先生のご厚意で、毎シーズン、志賀高原スキーに参加させていただいている。
本来、ゲレンデ嫌いの私も、このスキーばかりは楽しくて仕方ない。子供もいて、ファミリーで滑るなんて、なかなかないことで、それがみんなそろって上手い。ついて行くのが精一杯だけど、スピードにのって滑るのが面白いと、この齢になってやっと分かった。それに志賀高原は広く、ゲレンデクルージングができるので、1つバーンをハツカネズミのようにくり返し滑ることもない。
スキー場で過ごした翌日、2つ玉低気圧が通過した。大荒れの日は、長野の図書館と小布施温泉で過ごした。
休養のあとは、やはり山。志賀高原のクラシカルなスキーツアーコースを選ぶ。横手山からサンバレーのコースは、シャトルバスとリフトでスタートに立ち、あとは下り主体なので楽だと踏んでの計画である。車を下山先に置いておき、シャトルバスで横手山スキー場へ。そこからリフトを乗り継いでいくので楽である。 横手山第3リフトが動かず1時間待ち以外、たいした誤算はなかった。これも始点にこだわらなければ、第2リフト終点からツアーコースに入れたのである。
嬉しいほうの誤算もたくさんあった。所々にある素晴らしい斜面、ツリーラン、春とは思えぬ軽い雪、変化に富んだ地形、だれも来ない池塘の雪の原。歩き滑りながらルートを探す面白さ。
山には山の、スキー場にはスキー場の楽しみがあるのだと思う。
日本の海をシーカヤックで旅するのに、
今ノトコロこれに優る入門書はないだろうと自負しています。
これから始める人も経験者も、ぜひ一度読んでみてください。
第1章はシーカヤックで海を旅するために必要なノウハウ
第2章は私のシーカヤックのフィールドと紀行になります。
途中に挿入されたエッセイもお楽しみください。
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