12月28日:午後から雨との予報。それまでは大丈夫だろうと自宅から東に見えるシビレ山へとみっちゃんと娘さん、その友人に女房の5人で出かけました。戸田の村から入る最短の道を選んだのですが、登山口に「12月末日まで理由を問わず何人も入山を禁ずる」との表示。松茸山だからそうですが、こんな師走に生える松茸などあるのでしょうか。このまま入っても味が悪く、警告通り警察にでも通報されたら面倒なので、呑吐ダム側に転進しました。 ダムの堰堤向うから歩き、途中で葛をとって籠を編んだりして遊び、昼前に見晴らしの良い尾根でチーズフォンデュをして楽しみました。それから広芝池へと下りたのですが、この短い間に「近畿自然歩道」、「山陽自然歩道」、「太陽と緑の道」と看板が3つもあり、行政の縦割りと無駄は面白いものだと思ったのです。正月飾りの松、ウラジロなど採って、山から帰りつくとちょうど雨。タイミングのよい短い里山歩きになりました。
12月26日:播丹境界の山々を踏査している雲水さん といなみ山の会の人たちと西光寺山から北に伸びる尾根を比延峠まで歩いてきました。薮漕ぎを覚悟していたのですが思いのほか良い道で、落ち葉のクッションを踏みしめながら、楽しい山歩きになりました。私もけっこうあちこち歩いているつもりでいましたが、雲水さんから周辺の山々やたどったコースの説明を聞いていると、上には上があるものだと思いながら、北に見えた高山や猿薮など登ってみたくなりました。
12月23日:みっちゃんのお誘いでレンコン掘りのイベントに参加しました。明石の大久保にある皿池のあたりには長靴にスコップをもったそれらしい人たちがウロウロ。レンコンを掘る道具すら知らなかった私たちは、みっちゃんが持ってきてくれたスコップを借りて10時の合図で池に入りました。レンコンは深さ30~40㌢の所を横に這うというみっちゃんのご主人のアドバイスを聞いて掘りました。なかなかの重労働で泥まみれ、レンコンが高いわけが分かります。優勝者の143㌢にははるかに及ばないものの数本の収穫を得て満足。レンコンのテンプラや焼芋もいただいて、ローカルなため池イベントを満喫。来年は3位入賞を目指すぞー!!
12月19日:爆弾低気圧の通り過ぎたあと、県北の山にも雪がたっぷり。私の足馴らしと新雪の苦手な女房の練習に奥神鍋へ出かけ、ノートラックの斜面を重点に滑りました。腰が引けないで、前を向いて滑ると、それなりに行くのですが、怖がると逆戻り。女房殿は今年も一進一退?でも、かなり良くなってきているので、あとはメンタルだけかなぁ。4時間券で正午過ぎには切りあげ、今年4月に新装された「ゆとろぎ」で温まって帰りました。
山に入るには、まだ雪が根になっていないようで、明日の二つ玉低気圧の通過後に期待、どさっと降れば山入りの開始です。
12月14日:日本海側は大雪の便りですね。北の空をおおう雪雲を見ながら、吹きつける寒風の中で薪割をしました。体が温まる間もなく、息は上がり、鼻水は出るわ、指の関節はこわばって腕もそれなりに痛みます。でも楽しいのです。カパーンと割れたときの爽快さはストレス解消に・・・・。
そう言えば、ストレスのかかるような暮らし、していなかったか。ちょっと筋肉痛のぜいたくな午後でした。
12月9日:今年、最後のテントレックは京都のポタリングで、私たち夫婦にさっちゃんがつきあってくれました。紅葉シーズンも過ぎ、観光客もいくぶんか少なくなった京都の町、有名な観光スポットに的をしぼらずに、碁盤の目のような通りを右、左と気ままに行くと、あみだくじを引くような軌跡が残るのでしょうか。昼食は高瀬川二条苑。午後からは平安神宮、哲学の道を経て吉田山にあるOさん夫妻宅におじゃましました。コーヒーをよばれながら、ひとしきり喋ったあと、鴨川沿いの気持ちの良い道を七条へと下って帰りました。これといって特別なこともないポタリングでしたが、今日の陽ざしのように何かほんわりとした温かい1日になりました。
12月8日:今日は薪ストーブ用の薪を採るために木こりに行きました。私は3度目、女房とMさんは2度目、S店長は初めてでしたがスタイルは完ぺき。T君がひやかしに見に来ていましたが、結局、彼も引きづりこまれて、チェーンソーを持ち、斧を振るはめになっていました。M君の持ち山で樫の木を2本切り倒してから、つくね鍋を囲んでワイワイ。これがあるから、木こりの重労働も楽しくなります。午後は35センチ程の長さにそろえた丸太を斧で割りました。できた薪を軽トラで我が家に運びましたが、今日の木をすべていただいてしまい申しわけないやら嬉しいやら。今冬も来冬も十分なくらいのストックができました。感謝!!
12月3日:大阪に色々と用事があって出かけました。都会は車より自転車の方が便利なので、これであちこち回ります。この日は梅田(ヒルトン)、難波(好日山荘)、玉造(SOUさんの店)、鶴橋、御堂筋、中之島、京橋と走り、最終に守口の娘夫婦宅というコースになりました。御堂筋はイルミネーションが灯り、夜の中之島界隈もきれいでした。最後は道に迷って、淀川の土手上を自転車で漕ぐことに。寒風の吹く真っ暗な土手道から両岸の街灯りを見ながら走るのも乙な気分だったのですが、体は冷え切っていました。娘夫婦の家にようやく着いて、しゃぶしゃぶでもてなされている内に、凍りついたような身もほぐれ、心までほんわかと温かくなってくるのでした。
11月24日:金沢と言えば加賀百万石、前田家、兼六園と連想の輪がさっと広がるのですが、いつも山へ行く行く途中の通過点で立ち寄ったことがなかったのです。立山初滑りのあと天気の崩れを見越し1日早く下山して、この街を自転車でつぶさに見てまわりました。私はお城のある町で生まれ育ったせいか、城下町にはことのほか思い入れが強いのです。城郭はもとより、藩主の庭園、武家屋敷、町割り、そしてそこに住まう人たちの息遣い。城下町には独特の風土と文化があり、それが心のどこかに共鳴して、親しみと安らぎを覚えるのです。町並みの保存、伝統工芸、和菓子の美味さ豊富さ。百万石の豊かさと懐の深さを味わう一日となりました。
11月20日:青首大根ができました。種を蒔いてから、間引き、青虫退治、施肥という作業を経て立派に育ちました。青首大根は上昇志向が強く、下へではなく上に伸びるそうで、その飛び出た部分が青くなるので青首なんでしょう。無農薬ですから安心して葉から根までぜーんぶ食べられます。そのままおろして、オデンに煮つけ、大根飯にみそ汁・・・。よだれが出そう。
この他に、玉ねぎ、春菊、桜島大根、苺、えんどう豆がわずかずつ植わっており収穫が楽しみです。三木に住むまで畑仕事など無縁だったのですが、我が家の角に2坪ほどの畑(猫額園と呼ぶことにしました。)をもってから、だんだんと農作業にはまっていきそうな自分を見ています。
11月15~16日:しまなみ海道をHさんご夫妻と自転車で渡りました。尾道から今治まで70㌔㍍ほどの間に長短6つの橋がかかり、これを渡って行くのですが、足下に瀬戸の海、行きかう船が見え気持ちの良いことこの上ありません。天気が良くて子供からお年寄りまで多くの人が行きかい、この海道の人気の高さがうかがわれます。ポタリングは自転車をつかっての物見遊山ですから1日でなんてことは野暮になります。途中、伯方島の光藤という旅館に泊まり地魚を食べ、見晴らしの良い所でコーヒーを沸かして飲んだりして楽しみました。帰りに乗った土生行きの高速船から島々を眺めていると、次はシーカヤックで渡ってみたいと思うのでした。
11月13日:西脇にある金城山に登りました。西脇霊園に車を置き、源頼政の墓がある長命寺へと下ると鵺退治の像がありました。頼政は平家物語に出てきて平氏滅亡の嚆矢となる乱を起こしますが、宇治の平等院で討ち死します。その墓所は全国に5カ所あると言われています。ここ西脇と何のゆかりがあったのでしょうか?
金城池の畔のよい道を歩き、広い谷を進んでいくつか小沢を渡ると道は次第に細り、やがて尾根を登るようになりました。この尾根の道は踏み跡程度で最後の急斜面はほぼ薮こぎ状態でした。展望のきかない頂上は早々に辞し、下山路を探り、地形図にある破線の道を下ることに決めましたが、尾根の途中の奇妙な場所に記されたその道は、悪い予感のとおり影も形もありませんでした。それから前方のアンテナの立つ山まで薮濃い尾根を延々と歩かされたのでした。たかだか400㍍の山と高をくくってきたのですが、里山は案外と手ごわいものだと思いながら、夕陽に染まる山腹を眺めながら歩いたのです。
11月5日:先日、カヌーワールドの9号が届きました。今回の特集は「シーカヤックで巡る風景絶佳の多島海 瀬戸内カヤック天国」です。瀬戸内海は日本海とともに私の一番近いフィールドで、淡路島から西にかけて備讃瀬戸までのほとんどの島へ渡っていますが、その西はこれからと思っています。しまなみ海道沿いの島々は来年のテントレックにしようかなどと楽しみに読んでいます。「PADDLERS'TOY-BOX」欄の91頁にまたエッセイを載せていただいておりますので、ご一読ください。秋晴れの下で四万十川の後片づけをしながら今年のカヤックの旅を思い出したり、この冬の計画を考えたりするのもいいものですね。
11月1日~3日:今夏、北海道へいっしょに行ったMさんの呼びかけで29人が集まり、四万十川を江川崎から中村まで2日をかけて下りました。雨と分かっていたのに誰一人キャンセルが出なかったのは山や沢や岩やスキーの猛者ばかりだったからか、それともMさんが準備して下さった四万十の川の幸、モズク蟹、手長海老、鮎、鰻の魅力のせいか?カナディアンからシーカヤックまで色とりどりの舟、9歳から74歳までの老若男女入り混じっての川旅は沈と笑顔。夜のキャンプは豪快な料理に酒、歌に踊りあり、こんな愉しい旅は久しぶりでした。みなさん、ありがとうございました。またお会いましょう。
10月27日:岡山の犬島へシーカヤックのガイドで出かけました。昨夜の雷雨が去り、気象予報は弱い冬型になると言っていましたが、朝の間はおだやか。気持ちよく漕ぎ出し、3㎞ほどの航程はあっという間でした。犬島はベネッセが精錬所という近代アートの美術館を開くなどして、直島や豊島などとともに知られるようになりました。簡単な昼食の後、めいめい散策まではよかったのですが、帰りに風が出て10ⅿ╱s強のアゲインスト。たまらず港そばの浜に上げて、ファルトを解体し、初心者のお二人には渡船で帰ってもらいました。天気の読みが甘く、申し訳ない結果になりました。どうやら木枯らし1号だったようで、季節は確実に冬へと向かっているのでしょう。
9月27~28日:琵琶湖のサニービーチでシーカヤックの初心者向けの講習会。11月に四万十川に行くのに、漕いだこともないではあかんやろ、というのが主催者の目論見でした。その参加者の中で私が少しはましだろうということで、講師を務めさせていただきました。漕ぎ方からレスキューまで、天気もよく水温も高かったので水に入るのも苦でなく、ワイワイ言いながら体のいい水遊び。この齢でこんなことができるのもカヤックという媒体があるおかげかな。ヤマヤさんやサワヤさんばかりだったので、キャンプも慣れたもので共通の話題も多く、大和地鶏の鍋も最高。準備くださったみなさん、参加くださったみなさん、ありがとうございました。
9月14日:大阪中之島から千里の万博公園まで自転車で35㌔㍍をこぎました。長女夫婦のポタリングデビューにしては少々距離が長かったですが、二人とも楽しんでくれたようです。途中で次女夫婦の新居を見たりして午後1時半頃に万博公園に着き、今日の目的である「イメージの力」を見ました。角淳一さんと民博の吉田教授のトークをMBSの古川アナの司会で進めるショウに、次女がゲストで出るというので賑やかしのつもりでした。地味なテーマだけに人が寄らないだろうと思っていたのですが、450人の会場に入られない人が出るほどの盛況でした。娘もイラストで笑いをとったりして、汗をかきながらもなんとか努めていました。久しぶりに学芸会を見にいく親の心境になっていました。
9月8日:秋はキノコのハイシーズンです。涼しくなってきたので近郊の山歩きを再開します。山道で彼や彼女たちに出会う機会も多くなるので、逐次紹介してまいります。そのトップはタマゴタケ。カサの鮮やかな赤色は見るからに毒々しいいのですが、実は美味しいキノコ。過去にも2度ほど採取したものの、自信がなく捨ててしまいました。今回、「鍋は別にしてよ。」という女房に負けず、一人味噌汁にして食べました。歯ごたえ良し、味淡泊というのがファーストインプレッション。今朝、こうして無事にブログを書いていますので、安全の証明になりました。次は揚げ物かポタージュでと思っています。(テングタケ系のキノコは毒のあるものが多いので要注意。☠ベニテングタケのカサには白いイボがある。)
8月4~5日:やっとフェリーに乗れました。宮之浦港に着くとすでに出発した紀元杉行きのバスを追い、これを追い越しヤクスギランドで乗車、淀川登山口から入ることができた運の良さ。この日は淀川小屋まで入って一泊しました。翌日、夜の明けない内に出発しますと、花之江河辺りから闇も霧も晴れて初めての青空になりました。九州の最高峰、宮之浦岳は濃い緑と点在する巨岩、奇岩、そして周囲をとりまく海や浮かぶ島々を余すところなく見せてくれました。荒川へと下山すると縄文杉からは人の波で渋滞まで起きる始末。こう人が多くては屋久島の深い森もその神秘性もどこかへ行ってしまい、長いトロッコ道を黙々と歩くのでした。
7月17日:礼文島は船泊に上げて終わる予定でしたが、今はそこからフェリーは出ていないとのこと。図らずも香深の港まで漕がなければならなくなってしまいました。私の失敗で結果として礼文島1周になってしまったわけです。礼文島の西海岸は、荒々しい岩壁で構成されていてこの風景を海から見られるのはカヤックの特権と言ってもいいでしょう。あいにく霧が島の上部をおおっていましたが、それも神秘的で悪くありません。澄海やスコトンの岬から眺めた寒々とかすむ景色や首筋を洗っていく冷たい風、金田ノ岬のゴマアザラシの群れとの出会いは、北の海を漕いだ証のように思います。最後に東海岸を南下して香深の港にカヤックを上げると北海道を旅行中の知人のNさんご夫妻が迎えてくれ、私たちの利尻・礼文の旅は終わりました。
5月29~31日:ずいぶん前に目の不自由な人の登山ガイドをしたのが縁で、気がつくとガイドヘルパーのNPO法人の理事になっていました。何もしないでいいからというお誘いだったので、何もしないでいたのですが、それではいかにも申し訳ないと思い、ガイドヘルパーの研修を何回か受けると資格をくださいました。そんな経緯で全国盲人福祉大会に出席する人の同行支援をすることになり、大分まで行ってきました。ボランティア精神の乏しい私なのですが、神様のはからいは深くして妙です。
5月13~14日:今年のテントレック3番目は白馬岳主稜。3年越しの課題でした。S木店長、M嬢、M君の4人で、好天の下このクラシカルで美しい雪稜ルートを登ることができました。ゴールデンウィークには人の列だったのでしょうが、今日は我々のみ。この雄大な風景をだれを気にすることもなく楽しみ、登った後はスキーで大雪渓を滑りました。登攀とスキーの組合せは力のいることですが、それをなしとげる充実感は大きなものがあります。(フォトレポートに詳報。景色をお楽しみください。)
5月4日:関越自動車道をもどり、水上の道の駅で車中泊。朝一番の谷川岳ロープウェイに乗って天神平スキー場へ着きました。右端のリフトは9時まで動かないとのことなので、そこから天神尾根を登りました。さすがに東京に近い山です。後からあとから人が湧いてきて列ができ、人の途切れることがありません。11時に頂上を踏んだ後、頂上直下の雪田を滑りました。観客が大勢いて、ちょっといい気分でした。避難小屋の下から西黒沢へと滑りこみデブリとブロックの散乱する沢筋を雪の切れるまで滑ってからロープウェイ下に向けて薮をこぎ、最後に雪シロで増水した沢を靴とズボンを脱いで徒渉。沢の中でクロックスのサンダルを拾いました。サンダルで始まり、サンダルで終わる10日間の東北の旅でした。
4月17日:恒例になった唐荷島での潮干狩り。兄夫婦と行きました。シーカヤック初めての義姉を海嫌いにさせてはいけないと思っていましたが、播磨灘はベタ凪・薄曇りの好条件で私たちを歓迎してくれたようです。昼過ぎに沖の唐荷島に着いてコテッチャンや餃子を肴にビールを飲みながら潮の干上がるのを待ちます。中の唐荷島との間の中州がつながり始めると戦闘開始。家島や室津から船で渡ってくる人たちも大勢いて負けられません。最干潮の午後5時頃には、百均で買った小バケツをアサリでいっぱいにするというノルマを果たし、沈む夕日を見ながら帰路につきました。
3月8~9日:全国のテレマーカーが集まる「テレマクリ」というイベントが毎年この時期に開かれています。そこにブースを出す「アイゼくん」の手伝いをしてきました。テレマーク用のスキーアイゼンとしてこれに優るものは今のところないでしょう。また、手袋をつけたままでワンタッチで着脱できるスキーリーシュも今シーズン売り切れという人気です。今年は好天に恵まれ、参加者も多くて盛況でした。何人かのライダーの滑りを見ましたが、みんな上手い。用具、技術の進歩は、ここ数年で飛躍しているのでしょう。
3月1日:3月入りの週末、おじろスキー場へ行きました。前回のファミリースキーに参加できなかった長男一家と落ちあい、孫の雪デビューをお手伝い。長男はすっかりオヤジらしくなっており、子だけが大きくなるのではなく、親も子によって成長させられるものと思う次第。ジジむさくなってきた私は成長を止め、むしろ子供返りをしながら孫を乗せたソリを嬉々として引っぱるのでありました。
2月22日:昨年、知床をシーカヤックで回ったメンバーの再会です。Mさんが畑に仕掛けた罠にかかった猪を持ってきてくださいました。庭にしつらえたテーブルを囲み、鍋と焼肉です。猪肉は臭みがあるので味噌で炊く牡丹鍋が一番と思われていますが、血抜きがしっかりできていて新鮮なものは、そのまま焼いても美味いものです。タンにマメ、レバーといかがわしそうなところに舌鼓。猪鍋には骨付肉を入れ、春を告げる野菜「八尾の若ゴボウ」を炊きこむとでき上がり。みっちゃん持参の太陽酒造「たれくち」を一本空けた翌朝、鶯の初音を聞きました。春はそこまで来ているようです。
2月12日:浅間山は活火山で火口4㌔㍍以内は立入禁止。例外的に浅間山荘か車坂峠から前掛山へ登るコースのみ自己責任のもと入山が認められています。峰の茶屋から東側の山頂に至るルートが立入禁止とは行ってから知りました。東面からは標高差1100㍍を越え、大斜面を擁しているので確かにスキー向きですが、今回はシュカブラとモナカとアイスバーンのミックスの難しい状態でした。登っておいて言うのも何ですが、地肌を歩くことも多く、頂上直下の凹地など火山性ガスの危険もあるのでお勧めできません。ただ、その壮大な山肌に触れられたことが喜びでした。(フォトレポート)
1月29日:夜中に降雪があり、山は30㌢ほどの新雪。快晴。絶好のコンディションのもと、今日は、W隊長以下4名の足のそろったメンバーで、昨年末行けなかった裏鵯コースです。ゴンドラを降りて1時間半ほどで鵯のコル。そこから滑りおりました。最初は急なものの、あとは軽い雪をスプレーとそれに負けない歓声を上げながらの滑降です。四ツ又まで下りてシールを着け、若栗の尾根まで登り直し、再度、黒川沢の源頭を滑りこみました。申し分のない一日、そしてメンバーでした。快調の一言、こんな言葉でくくられる日もあるものなんですね。(リクエストにより動画アップ)
1月28日:この日は強風で、栂池の上部ゴンドラも岩岳スキー場のゴンドラも運行中止。西栂コースをどうしても見てみたかった私はWさん一行とハンの木ゲレンデの途中で別れて、独り楠川の南俣を渡りました。地形図を読みながら沢を南に折れて、尾根へと登りました。ここでシールを脱ぎ、軽く昼食をとってから滑ります。日照のあるところは軽いモナカ状、日影は軽い雪で、これがまだらに出てくるので難儀でした。それでも転倒もなく滑り、ゆるい尾根を朴ノ木平へと登りました。ここから東南東にのびる尾根をたどるのですが、尾根に乗るまでは慎重に行き、「信濃路自然歩道」の標識に行きあたってからはどんどんと滑り下りました。楠川沿いの林道を歩いていると、エスケープから登り、エスケープへ下るというなかなか味なルートではないかと思うようになっていました。
西栂はいまどきの滑るためのコースではなく忘れ去られようとしています。でも静かで落ちついて歩くにはいいですね。「虎印」という聞いたこともないスキーの標識があり、一部木肌が巻き込んでいるのが歳月を感じさせます。この標識に古い友人のような親しみを覚えるのは、私の山とスキーの嗜好も固着して身動きできなくなっているせいかもしれません。。栂池ロープウェイが営業を始めたなら、今度は全コースを通してみようと思っています。
ました。。
日本の海をシーカヤックで旅するのに、
今ノトコロこれに優る入門書はないだろうと自負しています。
これから始める人も経験者も、ぜひ一度読んでみてください。
第1章はシーカヤックで海を旅するために必要なノウハウ
第2章は私のシーカヤックのフィールドと紀行になります。
途中に挿入されたエッセイもお楽しみください。
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